周年に寄せて


開校40周年を迎えて

パーソナルコンピューターが、世界的に広く普及しはじめた昭和57年、浦和市立内谷中学校として開校した本校は、数々の歴史と伝統を刻みながら今年40周年を迎えました。これもひとえに本校を愛し、常にご理解、ご協力を賜った地域の皆様や保護者の方々、ご支援いただいた教育委員会をはじめとする関係諸機関のおかげと衷心より感謝申し上げます。また、本校の教育に携わり、歴史と伝統を築いて来られた多くの教職員の努力に対して、心から敬意を表したいと思います。

さて、これまでに本校を巣立った生徒は約1万2千余名を数え、社会の各方面で力強く活躍されています。現在、本校では学校教育目標「進んで学ぶ 心豊か たくましく」を掲げ、GIGAスクール元年として生徒一人一台のタブレット型パーソナルコンピュータ環境下における学びを本格的にスタートさせています。この学びと開校当時からの普遍的な教育を通して、グローバル化や人工知能・AI等の技術革新が急速に進み、予測困難なこれからの時代を自ら課題を見つけ、自ら学び、考え、判断して行動し、よりよい社会や人生を切り拓いていける子どもたちの生きる力の育成を目指し、職員一同邁進してまいります。

今後も、「地域とともにある学校」という理念の下での皆様方の変わらぬご指導、ご支援をお願い申し上げ、挨拶といたします。



開校40周年に寄せて

さいたま市立内谷中学校開校40周年を迎えられたことに、心よりお慶びとお祝いを申し上げます。この節目の年にPTA会長として関われることを大変光栄なことだと思っております。

さて、昭和57年この内谷地区に内谷中学校として開校され、早いもので40年目を迎えることが出来ました。昭和・平成・令和と、3つの時代を見つめ、内谷地区のシンボルとして40年を歩んできました。開校後、武蔵浦和駅が建設され、内谷中学校の周辺にも住宅が立ち並び、高層マンションが次々と建設され、現在では1000名近くの子ども達が学業・部活動に励み、埼玉県内で2番目の生徒数を誇る巨大マンモス校へと変貌を成し遂げました。

そして、この40年という長い歴史の中、今日まで数多くの新入生を迎い入れ卒業生を見送り、我が校の校歌にもあります「白いノート」に、ひとりひとりが先生方や友達との思い出、たくさんの夢や希望をえがくことができたでしょう。長い人生の中、3年間と限られた月日の中で校舎・校庭・教室・机・椅子、そのすべてに卒業された諸先輩方、そして在校生の青春の舞台となり私たちを暖かく迎い入れ、時には厳しい表情をみせた我が内谷中学校が私は大好きです。

数年後には武蔵浦和地区にあります小学校と合併し、新しく小中一貫校として、新しい時代の幕開けを迎える事になりますが、内谷中学校の伝統はこれからも私たちと共に歩んで行くことでしょう。

最後に、今後の内谷中学校の更なる発展と繁栄を祈念致しますと共に皆さまのご健康とご多幸を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。



40年の歴史・現在を伝える

この度、開校40周年事業 実行委員長を拝命させて頂きました村田です。

伊藤会長とともに内谷中の卒業生で、伊藤会長は第6期生、私はその2期下青ジャージでした。このような節目の年に母校に関われることをとても嬉しく思います。

 

2年程前、前任の丹校長から周年事業の打診を受けた時には、新型コロナウイルス感染症や、小中一貫校の計画もありませんでした。緊急事態宣言の繰り返しで子どもたちの学校生活もままならず、先生方も不慣れな状況で苦労されているなか“不要不急”という言葉のもと、様々な事案の中で周年行事の優先順位も大きく後退して行きました。また、小中一貫校が計画的に進めば50周年を迎える前に統合されるということからも、40周年事業の意味合いも大きく変わリました。

これからの武蔵浦和地域の子どもたちにとって良い環境が作られることは喜ばしいことである一方、母校がなくなる、校歌が歌い継がれなくなるなど寂しさはあります。 また、計画によると内谷中は低学年の子どもたちが通う校舎になり、学校・設備はもちろんその周りの雰囲気も大きく変わることが予想されます。

そういった意味でも本周年事業では、地域のみなさんへの感謝の気持ちや内谷中に関わったより大勢の方々に40周年を迎えたことをお伝えするとともに、中学校としての役割を担ってきた40年間の歴史、そして現在の姿を記録し、できる限り残したいと思っています。

たくさんの写真や情報など、いずれかをキッカケにその時代を思い出し話題にしたり、その頃の内谷中に思いを巡らせてもらえたら嬉しく思います。

 

本事業が内谷中に関わるみなさんにとって有益な事業になるよう引き続き、実行委員会メンバー一同努めたいと決意し、挨拶に代えさせていただきます。